シナリオ013 春和鏡明 謀略と月 



春。幻想郷は和やかに、例年通りのあたたかい春を迎えていた。

雪解け、春うらら。今年も妖精が春を指揮し、命は芽吹き、咲き、輝く。
このまま何事もなければ。八雲紫はそう想っていた。
そう、忘れもしない昨年の丁度こんな春めいたすごしやすい日に、博麗大結界の一部が剥がれ落ちる異変が起きたのだ。


『鏡壊異変』


剥がれ落ちたその博麗大結界の欠片は妖霊、陰陽の力、幻想の力の結晶だった。
八雲紫はその大結界を修復するべく、また、幻想郷の住人たちも思惑と目的を持ってその欠片を求め始めていた。 夢と現を行き来しながら。
それぞれが現実世界でのパートナーを得、幻想の住人たちは「トランスカード」や
現でのパートナーの力を借り、姿を変えその生活に慣れて少しずつではあるが大結界の欠片も集まってゆく。
小さな良さかいは絶えないが、それもいつものこと。

今は少しでも力を回復せねば――――



――――しかし、一年前には『もうひとつの異変』が起きていた。


「神霊廟異変」


復活した仙人、豊聡耳 神子、物部 布都。そして、どこからとも無く現れた邪仙、霍青娥――――
物語はまた、春の日差しと風と共に新たな局面を迎えようとしていた。



時は遡る――――



「知っていますか?あなたたちが目覚める少し前」


夜。霍青娥は二人の仙人が居に訪れていた。
小さな蝋燭が橙と燃えている襖を締め切られた一室で静かに語り始める。

「そうです。あなたたちが眠っていた霊廟がこちらの世界に流れ着いたのもそもそも」

それを二人は目を瞑りただただ青蛾の言葉を聴いていた。
その目には青い炎が揺らめいているとも知らず。

「あなた方が忘れ去られてしまったのはそう」
青き仙人は口から次々に言葉を零す。毒。
滑らかによどむことの無いその声色は甘く、それを包み隠す。

「目的の一部は実現はしました、けれど。先見を持たぬ愚かな『ただの人間』たちは、

はあまつさえあの国の和をと切に願ったあなたたちを この冷たく自愛の欲に塗れた霊廟に封し――――

襖の向こうで亡霊、蘇我 屠自古が聞き耳を立てているとも知らずに霍青娥は続ける。

――――全徒を救う事すら間々ならない仏が世を均かしてしまった。
それはあなたたちの崇高な想いと夢を踏みにじったという悲しい事実です」

コト、と三人の間に横たわる緋色の机の上に青蛾はひとつの破片を置き、続ける。
布都は目を見開き、神子は薄めを開けてそれを見た。

そこには『夜』が映っていた。

見たことの無いほど眩く、煌々と聳え立つ光の柱がいくつも立ち並ぶ『現の夜』が。
二人の顔をちらりと見遣り、心が揺れるのを確認した彼女は続ける。

「そう、これはこの幻想に閉じた世界と在るべき現の世界とを分ける、結界の欠片。
この力を使えば彼の日の目的をきっと果たせる筈です」

大結界の欠片。それは幻想、夢の力の欠片。
天に否定された仙人は、この二人にこの機に乗じあの日の夢を実現しないかと囁く。

「ここに私の配下が手に入れた封符があります」

彼女はもうひとつ、後ろ手に数枚のカードを取り出して机の上に置いた。
四枚の封符、「封印のスペルカード」

布都は青蛾に目で促がされるまま、その中から黒く輝く一枚を手に取った。
ささやかではあるが、確かに脈打つような力を感じる。これは一体、驚きを隠せなかった。
これは自身が決断すべき問題ではない、そう判断した布都は神子の様子を見遣り頷く。
神子は答えず、真一文字に口を結んだまま色の無い残り三枚の符を見つめていた。

青蛾は淡々と続ける。
「その一枚は私の配下が力を封印した物、これを使えばあちらの世界でも」
現では真に開放できない幻想の力を発揮できる、と事実を二人に伝えた。事実だけを。

「こちらの世界の下賤な妖が組み上げた術ではありますが布都、あなたの力を用いれば」
きっとこの中に刻まれた力の秘密を読み解き、『私たちの目的の礎』となるでしょう、と。

「この封符さえあれば。それに向こうに戻るための道もまだ、閉ざされていない」
そして力を蓄え、跋扈する妖、そして力なき神仏を廃し、現を取り戻さないか、そう言葉を紡いだ。



神子は硬く閉ざしていた口を開き、柔らかで落ち着いた声で始めた。

「わかった。先ずは表立って争うことは事の妨げとなる」

才は死せども失われることはない。
それは目の前に座す幾許かの神格を得た仙人が体現している事だ。


――――胸が疼く。

零れ、溢れそうになる高揚を服の胸元を肌蹴させながら押さえつける。
今夜は少し暑い。

春一番が遅れているにも関わらず、締め切った部屋と燃える蝋のせいか。
ゆらりと燃え続ける灯に目を移し、次の言葉を待った。



「布都」

神子は一言、隣に座って欠片と封符を交互に見ていた布都に目配せをした。

彼女は物言わず頷き、欠片と四枚の封符とをそっと手に取り部屋を出る。
気配を察したのか蘇我の亡霊の姿は無く、ほんの少し冷たい隣の部屋に首を傾げたが、襖を閉め自室へと歩いていった。




「……その封符と、大結界の欠片とやらの事は風の噂で聞いていた。もう一つの事も」

布都の足音が遠ざかるのを待って神子はそう切り出した。
「お耳の良さは相変わらずですね。神子様」
慎ましく微笑みながら言い放ち、青蛾は次の言葉を催促する。気が付かれない様に言葉を選びながら。
思惑は交錯する。その鐘の音は必ず鳴る。春の風に。



「先ずは八雲の妖に言うてひとつ、それを手に入れよう」



会合は終わっていた。
部屋が暑いと感じていたのはやはり炎々と燃えていた火の性だと、青蛾は少し恨めしく思った。
さらさらと春の予感を孕んだ風が頬を撫ぜていく。

「……涼しいわね」

そうだ、雪はまだ僅かに地を覆い残っている。
風に髪を手櫛で整えながら夜空を見上げ、青蛾は歩き出した。
月は欠けもなく真円を描き、美しく輝いている。今日は満月だ。

「面白いことになるわね。ねぇ?芳香?」

ふふと天に認められることのなかった仙人は、後ろに付いてきていた死体に笑いかける。

「?」

死体は両の腕を伸ばしたまま首を傾げる。
解らないという事は愚かで、故に幸せな事である。それにすら気が付かない
有象無象、矮小愚鈍な人々は気が付いてから後悔するのだ。あまりにそれは幸せな事だ。

「あなたのおかげよ。あなたが見つけてこなかったらこのお話」
音も無く彼女はふわりと宙に浮き、胸元を弄った。

「ここで終わっていたかもしれないわ」

邪仙の手の中では音も無く解けてゆく雪と、泉から湧き出る月が揺らめいていた。



「次はどこに行こうかしら、ふふっ」



冷たい夜風が体温を奪っていくのが心地よかった。帰ったら湯浴みにしよう。
高い壁、厚い壁。心の壁でさえも、彼女の前では役に立つはずもない。



第四篇 「春和鏡明」 謀略と月 終







■ここから秘封倶楽部 

「ねね、温泉だって」
宇佐見蓮子はどこから見つけてきたのか、温泉特集と表紙にでかでかと印刷された旅行雑誌を
広げて私に見せ付けながらこう言った。
私はどちらかというと温泉よりはお花見に行きたいと思っていたので少しひねった返しをしてみた。

「春なのに?」

温泉といったら秋や冬ではないのか。世間一般、というよりはかなり主観が混じった一言ではあるが、
以前蓮子が同じような事を力説していたのでこう返してみた。温泉ならば冬に長野に調査しにいった時に
露天のある旅館に宿泊し、冬の景色とともにあれほど満喫したではないか。

「春に温泉のどこが悪いのよ。夜桜を眺めながら~きゅーっとほら、まだ寒いし」
どうやら味をしめての提案らしい。いや、彼女はただ単純に口実が欲しいのだ。

「そういうことは課題を終わらせてからにしてよね」

目の前に山を築き上げているのは論文のために参考資料として私が集めてきた本である。
彼女の事は頭もその回転も良く早いほうだと客観的に評価しているつもりではある。
だが、しいて言えば天才型に分類されるであろう彼女は、興味のない事に関しては
「たまたま」に「おるす」になってしまうらしい。
先の事を少しでも考えられるのならば、やれるものはやれるうちに終わらせておいたほうがいい。
机に寝そべってぱらぱらと旅行雑誌の記事を指でなぞっている蓮子は、先の事を考えていないわけではなく
ただ単にエンジンがかかっていないだけなのだ。

行動、思考、モチベーションに波は確かにある。ただし、爆発的なエネルギーを一瞬で作り出せる
激情系天才型よりは、何事も淡々とそつなくこなしていく平静系秀才型のほうが、人間社会での生活には
少なくとも適合しているのだろう。目の前の生き物を見ているとそう思える。
役場の職員が机でこんなふうにしていたらこの国は、と大げさではないが、この町単位くらいでは不信感を
持ってしまわざるを得ないからだ。

「鬼」

ぶつくさ文句を言うのはいつものことで、本人は軽口だとさえあまり考えていないで口に出しているはずだ。
フレンチジョークをいちいち本気で取り合っていたら身が持たないし、面倒くさい。
機嫌と期限に余裕があるときは少しぐらいは付き合ってあげてもいいとは思ってはいるが、なにぶん
締め切りが近い。すでに待ってもらっている現状、今週の日曜日、遅くても月曜・・・
それでは間に合わない。早く終わらせて、帰らなくてはいけなかった。
二人で集めた標本に手を伸ばしながらごろごろしている彼女を指摘した。

「狸」

つもりだった。窓の外からこちらを見つめる一匹の獣が居たのだ。
「えー!狸はひどいわぁー。このかわいい宇佐見蓮子ちゃんのどこが狸なのよぉ~」
わざとオーバーなリアクションを取る彼女。珍しいわけではない。そうではないが、初めて窓越しに遭遇した
彼らを蓮子にも見せたかったのだ。椅子立ち上がり、窓の外を指差す。

「いや、ほらっ!うしろに!」
「えっ!?」
「ってあれ……いなくなっちゃった…」
ぱっと振り返った彼女だったが、そこには何も居なかった。彼は私が姿を認めた性で逃げてしまったのだろう。
いや、彼女かな?などと生物学的興味に思考を走らせていると、蓮子が不平を報告してきた。

「何よ……あれでしょ、人のこと狸って言いたいだけでしょ」

彼女は本来発見する能力が高い筈なのだ。眠気に目が曇っていない限り、時間も場所も正確に発見する。
標本の採集の際は蓮子のペースだった。私はあまり履き慣れていない靴に靴擦れを起こしてしまい、
足手まといにはなっていなかったか。彼女は意気揚々と私の代わりに次々と採集目標を発見し、私のことを気遣って
いてくれていたのだ。そうした負い目を幾許かは持っているからこそ、この分野に関しては
私の方がどうやら知識と嗅覚はあるらしいので、むらっ気のある蓮子のおしりを叩いてやろうと思っていた。
ぼんやりと彼女の口から零れる小さな夢を聞きながらも、なるべく手を動かすようにしていたのはそのためだ。

「う~ん、なくもないかな?」

ページ数的にはある程度落ち着いた。顎にペンを当ててパラリとレポート用紙を閉じる。
項数で論文の中身が決まるとは思えないが、ある程度それっぽく外見を整えておく必要が大人の世界ではあるらしい。

「え!なくもないの!?ひどい!」

ちらりと腕時計を見る。5時32分。そろそろご飯にしよう。夕方には移動のために麓に下りなくてはならない。
わざとらしい嬌声をあげながら蓮子は椅子から立ちあがった。雑誌を手放す気は無いらしい。
近場の食事所の記事が開かれていた。このあたりの地理はまだ把握していない。
こういうときに役に立つのは純粋な興味らしい。取り合えず。お昼の事は蓮子に任せようと思った。


おわり。
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